築地から勝どき橋を渡って、月島。その北側にあるのが、築地と関連の深い、江戸の歴史を遺す町・佃。
佃島は家康が江戸の町を作る、今でいう都市計画のときに、大阪から連れてきた佃・大和田の漁民・職人の人たちの町。最初は日本橋のあたりに住んで(日本橋も江戸の埋立地)、漁業をおこない、それが日本橋の魚河岸(築地の前身)になるのですが、さらに江戸が大きくなっていくときに、佃の衆が埋め立てた(元は中州)のが佃島。
そして明暦の大火のあと、江戸を再度拡大していくにあたって、佃の衆が作ったのが、現在の築地。徳川家と癒着してどんどん埋め立てて自分の土地にする、まるで今のゼネコンですが、江戸時代の土木工事はハンパない。神田の山を削って埋め立てた佃、築地は堅牢な地盤で、だから古いものがしっかり遺されているのです。
築地に日本橋から市場が移ってきたのは、大正時代・関東大震災のあとですが、佃の衆が信仰していた浄土真宗の本願寺別院建立も含め、佃・築地・本願寺は密接な関係を持ち続け、江戸から東京の湾岸部の発展を担ってきました。
築地を愛するみなさん、佃にも足を伸ばしてみると、築地、魚河岸とかかわりの深いものが見つかりますよ。
これが住吉神社。大阪に本社のある海の神様ですね。
そこにあるのが「鰹塚」。江戸の鰹節問屋からの由緒ある「鰹節類卸協同組合」が建立したものです。築地の波除神社にも「活魚塚」や、「寿司塚」「玉子塚」がありますが、食べ物、生き物に感謝をしていただく、心のある商売のあり方がみえてきます。
拝殿の左にはレンガ造りの珍しいお神輿蔵があるので、これも見逃さないように。
今の佃はタワーマンションの壁に包囲されたように、1丁目がまるで街並みの博物館のように小さく残るだけですが、その狭いエリア、路地の奥にも由緒ある神社やお寺、そしてもちろん佃煮屋さんが見つかります。
波除神社はもちろん、路地にある天台地蔵尊(大いちょうが建物をぶち抜いている)にも、築地の業者が寄進した石柱や水盤があるので、あちこちで築地の文字を探してみてください。