築地でええじゃないか! かわら版

築地市場が豊洲に移転して5年。卸売市場が支える消費者と商店街を守るため、東京都とゼネコンの再開発事業の動向をウォッチ。

築地は水の街

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6日に「魂抜き」が行われた築地場内の水神様の鳥居が、そんなにすぐやらなくてもいいのに、というほど素早く撤去されています。
 
水神様は文字通り、水の神様。
水というものは、人間にとって恵みであると同時に、御しがたいものであり、ときには人間の営みを破壊するほどの力をもったものである、ということを、このたびまた改めて日本のひとびとは思い知らされました。
 
水が御しがたいといえば、むしろ豊洲新市場。もともとの軟弱地盤に加え、現状の建屋の浸水壁が低いなどの問題から、地下水位が下がらず悪戦苦闘が続いています。「完了した」と言われる追加対策工事では、揚水井戸を増やしたものの肝腎の建物の下には掘れない(建物があるから)という矛盾が指摘され、効果のほども疑問。
逆に恵みの水を利用する点においても、築地では床を海水で洗浄し、衛生管理だけではなく、気温を下げる(打ち水効果。オープンな構造なのに、築地はこの真夏でもひんやりしている)、まさに人間の知恵が活きているのに、豊洲の床は海水が流せない、おまけに床の排水にも問題がある、という欠陥が新しくわかってきています。
だから早く水神様を手にいれたいと思ったのかもしれませんが、水の脅威を過小評価し、利用する知恵も排除した豊洲新市場。これが魚河岸といえるのでしょうか。
 
築地は水の恵みとともに営まれてきました。水産物を扱うことはもちろん、農作物の出来も水によって決まります。水害がおそろしいのはもちろん、農産物の不作や漁業における海難の危険もあり、また現在は少なくなりましたが、水産物や農産物を江戸/東京という都市に運ぶのには水運も大きな役割を果たしていたため、商品の流通のためにも水をなだめることが必要とされていました。そもそも、築地の土地を作ったのは住吉神社を信仰する摂津からきた海洋民でした。
 
今回は6月の波除神社獅子祭から、築地と水の関わりを見ていきます。

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今年は3日目の6月8日に「百数十年ぶり」といわれる船渡御(お神輿が船で川を進む)が開催されたことが話題となり、また、隅田川河岸にお神輿を載せた船が接岸して、水鎮祭がとりおこなわれました。
そのお神輿が船に乗り込んだのが、場内の船着場。今は使われる機会も少ないですが、もともとの「魚河岸」です(ちなみに、ふだんは見学者は入れません)。

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船といっても、いわゆる台船で、タグボート2隻が押して推進したり、絶妙なコントロールで岸に近づけたりします。
お神輿とともに乗り込んだ人々の雄姿、そしてその後ろには場内・場外の顔役の人たちが乗り込んだプレジャーボート。この方たちのうち、何人が7月の水神様移転を知らされていたのでしょうか。
本来なら、きちんとこの人たちにも了承を得て、立ち会ってもらってこその移転であるべきでした。

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今年の獅子祭は、築地だけではなく、東京のお祭としても珍しい大規模な船渡御が実現し、浜離宮に作られたお旅所から戻ってくるという、広い範囲をお神輿が巡って大いに盛り上がりました。
そのエリア、場外や周辺の人たちのいったい誰が、市場がなくなった方がいい、なくなったほうが得をする、などということがあるでしょう。
水神様のみならず、こうした幅広い関係者に対しても、この移転手続きは礼を欠いているのではないでしょうか。
 
  なお、築地本願寺の盆踊りは8月1~4日です。