築地でええじゃないか! かわら版

築地市場が豊洲に移転して5年。卸売市場が支える消費者と商店街を守るため、東京都とゼネコンの再開発事業の動向をウォッチ。

ところで築地はどうなってるの?

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オリンピック・パラリンピックを機に、インバウンド増加といまだ言い続けている東京都と日本(写真は江東区・深川資料館通り)。
しかし、シェアの多かった韓国からの観光客が半分以上減ったのみならず、すべての国や地域からの観光客も減り続けています。
 
われらが築地も、近年インバウンド消費に支えられていたため、そのアオリは他よりも大きい。
なんといっても、海外から来て成田から直行、あるいは築地のホテルに泊まり、早朝のセリ見学がマストだ、など、世界一の魚市場を見たいという海外観光客の情熱は、日本人が思う以上でした。
市場がなくなって一年。最初はまだ移転を知らない(ときには信じたくないから、という人も)とか、場内が移転してても築地に来ればそれなりのものがあるのでは、と考えて、築地を訪れる人々がいました。が、すでに築地は観光コースのトップから外れ、せいぜいついでに寄って場外を軽く見てまわる、というレベルになっていると見えます(国内観光客も)。
 
また、場外のお店も市場直結のプライオリティを失ったため、まずは市場関係者という大きな顧客層を失い、買い出しのプロが大幅に減りました。
そして観光客相手の飲食店もメニュー削減や値上げ、逆に店頭での食べ歩き商品にシフト(客単価が下がる)という傾向があちこちで見られます。

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たとえば、東都水産直営、常に市場関係者で賑わっていた東都グリル。今や空席が目立ち、メニューも相当減ってしまいました。ついでに聞き耳を立てていると、場外や仲卸関係とおぼしいお客さんたちの話題が愚痴や閉店話ばかりです。
門跡通りの、火事にあったエリアは地主さんが新しくビルを建て、当然そこにあった店が入ると思われていたのに、引っ越し寸前で契約打ち切り
代わりに入ったのは福井から来たカニの立ち食いの店です。「築地というブランドでやりたかった」と、取材で書かれていましたが、産直をうたう店の進出は、場外が「卸売市場」と関係ない場所になりつつある象徴とも見えます。

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他にも閉店した店の跡に入るのはタピオカ屋やらもんじゃ焼きやら。市場関係者に愛された、築地閉場時にはNHKのドキュメンタリーも話題となったゆで太郎」の跡もこのとおりです。

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特にこのエリア、築地魚河岸から先、波除神社付近には観光客が足を伸ばさない傾向もみられるようになってきました。

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その築地魚河岸も次々イベントをして頑張ってはいますが、肝腎のお店の撤退が目立ちはじめています。
中央区が賃料を三倍に値上げしたのが、なんといっても痛い。そして早朝はプロ向け、としてリニューアルしたものの、そこの売り上げの伸び悩みが原因らしい。
築地魚河岸に出店した仲卸には、豊洲からわざわざ運ぶ手間とコスト、を受け入れられるかどうか、ここの店舗も支えることのできる(売り上げの落ちた豊洲での)体力の問題が、今後ものしかかってくると思われます。

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そして、場外から晴海通りを渡っての4、6丁目には仲卸関係の事業所や倉庫が多く並んでいました。当然、豊洲から遠いところに残すメリットは薄いので、今、そうした事業所が次々閉店しています。あわせて業者向け、専門的な問屋などの店も厳しい状況です。

4、6丁目にはマンション建設が進み、旭化成が「エリア最大級」をうたったアトラス築地を建設中。161戸・11階建ての巨大な建物が本願寺の真裏なので、これができると朝日が差さなくなるでしょう(本願寺阿弥陀様なので、西向きですが)。

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そして市場跡地。東京都はこの23haの土地を市場会計から一般会計に付け替え、自由に賃貸できるようにしました。オリパラ後は民間業者の開発を待つばかりの状態。多くは発表されていませんが、どの事業者が入るかはもう内定済みと想像されます。
問題のカジノ(IR)は、筆者も大いに懸念してかわら版を作成、シール投票もたびたび実施しましたが、どうやら東京都の本命は青海地区のようです。青海と連携した湾岸再開発によって、たとえば築地にコンベンションセンターがあるから青海に規制なく広いカジノを作る、などの方策は考えられますが。
 
築地のまちづくり方針案で、現在はっきり言われているのは、コンベンションセンターとラグジュアリーホテル。そして土地を四分割して切り売りしての、高層化です。朝日新聞社に朝日が差さなくなりますね。
 
移転が止められなかった以上、こうした負の連鎖は避けられないことですが、こんなまちづくりが進むと、場外もいつまで無事でいられるでしょうか
情緒ある下町風情が魅力の商業/観光地、といいつつも、東京都などが各地で進める再開発(主に商店街が狙われている)でターゲットになっている「木造密集地(木密)」「狭隘道路」「老朽建築」です。「オリンピックまで(さすがにそこまでは…)に築地の銅板建築の建物がなくなる」という人さえいます。都が伝統や歴史を大切にしないことは、市場を壊しただけでも証明済み。

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(築地一丁目・上写真の建物に近づくと、テナント募集中)。

そんな築地の歴史を伝える展覧会「築地の魅力 再発見」が、12月15日(日)まで、明石町(聖路加病院の向かい)にある中央区の郷土天文館・特別展示室(明石町12-1・タイムドーム明石6F)で開催されています。入場無料。
築地がなぜ「築・地」なのかわかる江戸時代の埋め立ての貴重な資料からはじまり、居留地時代や海軍兵学校築地小劇場の時代変遷から、もちろん築地市場についても資料多数。あらためて、築地がいかに東京にとって必要とされて作られたものか、よくわかります。
ちなみにタイムドームにはプラネタリウムもあり、今はポケモンのプログラムもあるようですよ。
 
そして展覧会の関連企画として、講演会が2回行われました。
11.30(土)は築地魚市場銀鱗文庫(現在は豊洲の管理棟2階)の管理人を務める福地享子氏(銀鱗会事務局長)による「モダン建築・築地市場でした。

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主題は、モダン建築としての築地の価値、大正期に計画されたことの先進性や設計者たちの才能、海外の市場建設から学んだことの関わりなど。
しかしそれだけではなく、福地氏はファッション雑誌の編集からなんと築地の仲卸(浜長)に飛び込み、10年以上現場で肉体労働。その後、場内の紹介あって銀鱗文庫に所属するようになった方です。
資料としての収集のための取材や写真も当然貴重なものばかりですが、その背景には、働く人の目から見た築地市場という稀有な場に対する愛情が溢れていました。
当然、移転や現在の破壊には辛い気持ちをお持ちのようで、築地の写真を語るときは、感極まる話しぶりでした。時々、去年の閉場直前のことを「今の築地」と口が滑ることも。
 
こうした築地を愛する人たちの考え方として、東京都のまちづくり方針による再開発が気にならないわけもないのですが、その中に、どう築地市場の記憶を遺せるか。建築の側面からすると、そのために活かしていきたいもの、として、築地市場の部材の保存ということがあります。都は「一部保存する」と言っただけで、何をどうするかはまったく語りませんが、この講演で状況が判明しました。

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今年の夏にICOMOS(築地市場を含む、隅田川橋梁群を日本遺産に指定)と東京工業大学の主導により、アーチ型鉄骨三本分(左右)の「生け捕り」作業が実施されました。真夏に3ヶ月かけてリベットを手作業で外し、細かい部材・部品すべてを含め、保管しているそうです。
しかし、東京都がそれをどう使うのかは未定。
現在の担当者である都職員は、お父さんがリベットの業者さんだったとかで非常に鉄骨建築に理解が深く、この作業にも積極的に関わってくれたそうです。が、「都としては保存・再生に乗り気ではない」とのこと。担当者が変われば(そして都はすぐに担当を変える)どうなるかわかりません。

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(ぴんころ石。豊洲の銀鱗文庫が「20個」譲り受けたそう)。

福地氏は「フランスのレアール市場(築地より古い)の鉄骨は横浜のフランス居留地にも持ってきて建てられているが、あんな風にただ野ざらしにしては意味がない」と、少しでも歴史の伝わる生きた再生を望んでいました。
筆者は、もしかしたらただの展示資料として、小金井公園の建物園とかに建てれられてしまうのではないかな、と、懸念してしまいました。以前本サイトでも紹介したパナソニック汐留にある汐留停車場、貨物線踏み切りなどとリンクして、市場敷地に建つべきだと考えますが。
 
そして望まれるのは、それをゲートとして「市場」があってこそ、築地とは何かが正しく継承されるのではないでしょうか。もちろんすぐにこの地に中央卸売市場を建てることはできません。けれども、築地が魚市場と「まったくべつもの」になっていては、歴史も記憶も残りません。
築地市場の価値をこれからも守る」ためには、今ある場外(築地魚河岸を含む)の建築や街並みだけではなく、都内の料理人・小売店との関係性、築地で続けてきたお店のこだわり、なども守っていくべきではないでしょうか。
 
東京都のまちづくり方針(コンベンション・センター)、築地の街全体の再開発について、もちろんこうした建築関連の保存についても、築地を愛するみなさんが少しでも声をあげていくことが大切です。
そして、築地が代表していた「卸売市場」による食品流通の価値・評価を都内11市場が維持することも必要です。12月都議会の卸売市場条例改正についても、ぜひ声をあげてください。
 
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