2024都知事選挙前に、築地市場移転問題おさらい!!
2024.07.07は東京都知事選挙です。
その前に「築地は守る、豊洲は活かす」「食のテーマパーク」「築地に復帰する際のお手伝い」「ベストなワイズスペンディング」「最新の情報をクリエイトして、コミュニケーションの両方をやっていくステージ」って、なんのことでしたっけ?小池さん!!
と、いうわけで、これまでの[築地でえぇじゃないか! かわら版]バックナンバーで、築地/豊洲の翻弄の歴史を一挙におさらいしましょう。
トップは2018年6月、移転日程が発表された時期に作った「築地/豊洲まるわかりウルトラすごろく」。
1590年の日本橋魚市場にはじまり(そこから!)、1657年築地造成、関東大震災後に築地移転。
(前記事に書いた日本橋・常盤小学校のギャラリー・日本橋歴史アーカイブス)
鉄道輸送のために設計された扇形の鉄骨建築が、いかに汎用性が高く、効率的だったか。2011年の東日本大震災でも「発泡スチロールがちょっと落ちた程度」で、翌日も営業したものの、東北の被災により入荷が激減。さらに原発事故での出荷停止。
しかし築地は1954年のビキニ水爆実験・第五福竜丸のときも「原爆マグロ」に対するトレーサビリティで食の安全を守り、同時に反核署名運動にも積極的に参加して地球レベルでも海と生命の安全を守ろうとしました。
小池都知事が大好きな(葛西臨海公園の森を伐採してまで並べたがる)太陽光パネルではなく、ノコギリ屋根からの採光、海水による消毒で害虫を防ぎ、開放的な構造が川風を取り込み真夏でも涼しく、大卸(入荷)から仲卸(分配)を経て出荷(トラックやターレ、小口は自転車も!)にいたる効率的なルート、シンプルなつくりだからこそ先進的なエコロジーを実現していました。
なによりも湾岸地区に低層の広い敷地を保つことが、東京のヒートアイランドの低減に貢献していました。暑いのは再開発のせい!
しかし2001年、それを「古くて汚い」と言い出したのが石原慎太郎知事。バブル期のスクラップ&ビルドの発想にしがみついたような価値観の背景には、実はそのバブルの「臨海副都心計画」破綻の穴埋めに築地市場現地再整備費用(特別市場会計:東京都の11市場のうち、築地が圧倒的な黒字だった)を投入することが目的。
もうひとつ、同時期には湾岸再開発のために、2016年オリンピック招致もありました。
1940年幻のオリンピックと万博(返上)、1964年、2016年(招致失敗)、そしてTOKYO2020(2021年)のために「駐車場」とするために壊される、と、築地市場はオリンピックに翻弄されてきました。
2021年の「オリンピックと築地市場」号。
そして東京都は、オリンピック後の築地再開発のヴィジョンとして、2019年に「築地まちづくり素案」を発表。MICE(国際会議場)やホテルを中心とした計画には、当時はIR(カジノ)ではないか、という懸念も。
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/data/saisei0802_14-1.pdf
「従来のMICEの概念を超え、地域の特性を生かし周辺エリアとも連携しつつ、国際会議場等の機能を中核としながら、文化・芸術、テクノロジー・デザイン、スポーツ・ウェルネス(健康増進)などの機能が融合して相乗効果を発揮し、東京の成長に大きく寄与する交流拠点として発展していく。
そこでは都民をはじめ、国内外から多くの人々が集い、共に感動し、楽しみを共有する
ことにより、新たな時代の東京ブランドが創造・発信される」
などなど、意味不明な広告代理店ポエムが並んでいますが、この時点で「食のテーマパーク」は行方不明に。
そもそも小池都知事は「3年経ったら希望する業者は築地に帰る」などと言っていたのです。
2019年「築地をカジノに?!」号。
当時の計画のうち、隅田川の親水テラス整備がおこなわれたので、「水辺の顔づくりゾーン(変な名前)」の船着場というのは残っているのかもしれません。それも実際どうなるかはわかりませんが。大卸の鉄骨組みが最後まで残っていたので、これを船着場の屋根として使えば、せめてもの「レガシー」であったのに、それも壊してしまった。
そして、現在では「70年間プロポーザル」で、民間に丸投げする条件での入札を行い、三井不動産・読売グループのJVに決定。東京ドーム移転?などと言われていますが、全貌は未定です。
なお、三井不動産はTOKYO2020の選手村だった晴海FLAG(最近入居が始まり、転売・投機目的の購入が多数であるとか、東京都の天下りになっているとかのニュースが出ています)を周辺地価の10分の1以下で落札しています。築地も買い叩かれているのでは。
懸念されていたカジノは、国内三ヶ所以内という制約のもと、現在でも検討しているのは大阪府のみとなりましたが、それが万博跡地の夢洲の埋立地。メタンガスが爆発した(会期中も連日メタン濃度を速報するらしい)とか、地盤沈下で建物が建たず、海外のパビリオン撤退が相次ぐ、などの報道には、なにか既視感があります。
そう、豊洲市場。
2019年3月、開場から半年ほど経った豊洲の問題点まとめ「豊洲でいいんですか?」号です。
エレベーターやシャッターで死亡事故、外周のターレでも死亡事故、地下通路でフォークリフトが低い天井に激突、それらに対して東京都は「業者が悪い」の一点張り。
地盤沈下で建物が歪み(悪化している)、営業中に汚水が噴出、もちろん地中にあったシアンやベンゼンの発生も続いています。
そもそもの構造が建物が離れていて使いにくく、公共交通はゆりかもめだけ、仲卸が狭い、トラックが横付けできない、閉鎖型で換気が悪く「謎の黒い粉(ターレのタイヤ粉塵か?)」などの、市場としての機能を無視した設計になっていました。
現在でも改善されることはなく、「入荷量が減ったからまわっている」とまで言われる状況(近年金額だけが上がっているのは円安などの影響)。目標額が非現実的ですごい…。
そして2024年2月「千客万来施設」が紆余曲折の末にオープン。「インバウン丼」などと、あまり健全ではない「にぎわい」を呼んでいます。
まさか、これが「食のテーマパーク」?
2018年9月、移転直前の「やっぱり築地に残りたい」号です。
築地とはなにか。
場内と場外が循環し、玄人も一般客、海外観光客も満足できる食文化の聖地。テーマパークなどという軽々しいことばでは表せない、生活と生存のための街が、食という豊かさを通じて結果的にエンターテインメントにもなっていた稀有な場所でした。
今も、場外は健在で(魚河岸に関係のないお店が増えてはいる)、ここに卸売市場があったことをもはや(たった5年で)知らない観光客が、すさまじく値上がりした食事を楽しんでいます。
しかし、そこには中心となった市場はもはやありません。
これから再開発の波が押し寄せたとき、バブル景気に支えられている脆い築地の街はどうなっていくのでしょうか。
小池都知事の「築地は守る」という嘘の軽さに比べ、築地が、東京が失ったものはあまりに重いのです。