築地でええじゃないか! かわら版

「新宿港町行進」や築地場外、都庁前などで配っているかわら版をアップしています。転送・印刷配布ご自由にお使いください。

日比谷公園はどうなるの?

こうなります?!

https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2023/07/05/05.html

 

こうなったら大変ですよね。

神宮外苑が騒がれていますが、こちらでも都心の貴重な森が伐採されて、ビルの谷間の商業施設の前庭化されようとしています。どちらも東京都と、豊洲市場江戸前場下町や晴海FLAGでおなじみ、三井不動産のコラボです。

8月4~6日、園内でオープンハウスがあったので、行ってきました。

気温は35℃以上、扇風機だけのビニールテント。他のイベントの余りもののネックタオルとパンダのうちわが配られましたが、樹木を伐採してさらに東京を暑くしようとする人たちのセンスはすごいですね。

オープンハウスで「都民のみなさまの理解を深めていただく」のは、いずこも同じで、HPのPDFをパネルにして並べるだけ。都の職員から説明がきける、と言っても、パネルに書いてあるだけの紋切り型の返事しか返ってきません。

この日は再開発に反対する日比谷公園の歴史と文化をこよなく愛する会」のみなさんの企画で「オープンハウスをみんなで見る会」が開かれ、代表であり、元日比谷公園のサービスセンター職員だった高橋康夫さんによる、都職よりよっぽど詳しい解説を聞くことができました。

https://hibiyapk.wixsite.com/home

署名はこちらから。

キャンペーン · 日本最初の近代的洋風公園・日比谷公園の歴史と1000本の樹木を破壊しないで! · Change.org

(Change.orgのシステムは署名後に寄付を要求しますが、これはChange.org運営のためで、署名団体への寄付ではありません。寄付をスルーしても署名は有効です)

 

パネルの解説のあとは実地見学も!!

なんといっても気になるのはここです。

上が都の資料、下が「愛する会」の資料。

日比谷通りを跨ぐ連絡橋、左(南)側は「内幸町一丁目街区開発事業」という巨大再開発地区とブリッジするデッキ(再開発はデッキが大好き)。ここには230m級のビルが4本(NTT、帝国ホテルなど)のまんなかに「緑の空間」という人工地盤でかさあげ。公園との「一体化」は、まさに公園を民間の「前庭」化するものです。

右(左)側は既存の日比谷ミッドタウン(三井)。高層ビルの低層エリアには最初から「デッキ」に接続するようなゲートが設計されています。

「愛する会」のみなさんのおっしゃるとおり、まさに「三井の森」に。

都立公園が公道ではなく、民間ビルからのアクセスというのは、従来はなかったことだそうです。それというのも、この大手町・日比谷エリアが国家戦略特区であるから可能になったこと。

 

また、デッキ部分も「緑化する」と言っているので、明治公園-国立競技場のデッキのように、コンクリの地盤の上に植栽したものを「公園面積」に繰り入れることになるでしょう。

 

そしてデッキの公園側にはスロープとエレベーター。現在はそこにはクスノキなどの巨木が。

東京都は神宮外苑などの件の悪評で「樹木伐採」と言われることに非常に敏感になっているそうで、HPの事業計画でも「樹木の取扱いについて」として「伐採せず移植」「樹木医の診断」などと書いています。オーブンハウスでも「移植します。伐採ではありません」と言い続けていました。

 

 

現在の日比谷公園の案内図(公会堂前)。巨木があることが誇らしげに書かれています。

こうした巨木が短期間に簡単に移植ができるものでしょうか?

現に国立競技場付近では移植されたイチョウが枯れてしまっています。

そして高橋さんから、都が信用できない衝撃の事例が。

この看板の前のにれのき広場の現状がこちらです。

公会堂とバラの咲く第二花壇の間はその名のとおりニレの巨木が23本ある土の地面でした。

2019年「埋蔵文化財の調査」として突然フェンスが立てられ、あれよというまにその内側ではにれのきを伐採。そしてフェンスがなくなったときは、地面はアスファルトに。こんな抜き打ちをする東京都。

このアスファルト地面にしたのは、見てのとおり、イベントスペースの確保でしょう。日比谷公園オクトーバーフェストが大入りで、ついには10月以外にも開催するようになりましたが、ほぼ毎週のようにこうしたフードイベントが行われています。

近隣はオフィス・官庁街なので、ビアガーデンの需要が多いのでしょうが。しかし平日の夜ならともかく、昼間も土日もやっているので、業者さんも損しているのではないか。イベントのやりすぎで、出店するお店にも独自性がなく、わざわざ高い値段の縁日フーズをこんな環境で…

この殺風景な空間は、都のオープンハウスじゃないですよ?「日比谷ビアガーデンフェス」です。こんなビアガーデン、どうですか?

東京都の計画では今年9月から10年間をかけてエリアごとに段階的に「整備」していくのですが、一番に予定されているのが、このにれのき広場に面した「第二花壇」から噴水・小音楽堂です。
第二花壇はバラが植えられ、まんなかの芝生は立ち入ることができません。景観のための芝生です。

噴水も高橋さんによると、すでにイベント時には「水がかからないように」流量を制限することもあるそうですが、計画を見ると縮小されるようです。

 

そして小音楽堂は無料コンサートなどで気軽に楽しめる憩いの場。都の計画では

・芝生地に自由に立ち入ることのできる芝庭広場

・小音楽堂のステージや観覧席の高さを下げて噴水広場と一体的に

・イベントやマルシェに活用し、イベント以外のときは広く開放

要するに、全体を「一体化」して拡げて、イベントスペースにする、ということです。こういうときにやたらとバリアフリーを持ち出して車椅子のアクセスなどと言いますが、車椅子(形態によるが)で芝生が移動しやすいでしょうか?そもそも今の第二花壇は車椅子だけが入れない、のではなく、誰も入れないのです。そのことによって芝生が守られ、結果的に周辺が憩いの空間になっているのではないでしょうか。

 

しかしこうした設計は最近の公園再開発のトレンドであるようで、下リンクでは

「最近の公園の"三大最終兵器"はスタバとデッキと芝生」

と、慶応の教授が悪びれることもなく言い放っています。ここでのデッキはおそらくウッドデッキのことで、連絡橋とは別だと思われます。カフェは、スタバ以外のチェーンが入ることもありますが、新宿中央公園南池袋公園などはそのスタイルであり、行政やデベロッパーが「成功例」「にぎわい」として持ち上げる代表です。

 

座談会:公園がそこにあり続ける意味とは|特集|三田評論ONLINE

 

2027年からの整備とされている、日比谷公園で一番森が深い、北側の三笠山エリアなども、当然樹木伐採も問題になってきますが、都の計画では周辺とまとめて「大芝生広場」となっています(パークプラザなる構造物も計画されています)。

見てのとおり、起伏のある地形は大名屋敷の築山という由緒をそのまま遺しています。

また、高橋さんの解説によると、園内に多数配置された手前の石は、100年前の開園当時に設計者の林学者である本多静六博士が江戸各地から集めてきた由緒ある石ばかりだそうですが、その調査はいまだに行われていないとのこと。

同エリアにあるテニスコート(移設)は日本初の公営テニスコートであること。

日比谷公園はそれ自体が文化財でもあるのです。

「愛する会」のツアーでは、こうした歴史・文化財の解説も充実していました。

 

同じ慶応のサイトですが、こちらは再開発論ではなく、日比谷公園の歴史をまとめたもの。

日比谷公園から考えるほんとうのまちづくり|特集|三田評論ONLINE

 

東京都の計画のあちこちには「歴史をQRコードで紹介する」とあり、要するに看板を立てるから勝手にスマホで見ろ、ということですが、現物を調査もせずに壊して簡単な解説だけを残すのでしょうか。

おりしも大阪市役所での美術品駐車場放置が問題になり、維新の会の顧問が「デジタル化して現物は処分(売却?)すればいい」と発言したことと類似に思えますが、

ここで私たち「築地でええじゃないか!」としては、思い出すべきは築地市場ではありませんか!!

築地市場も100年近い歴史のある文化財であり、当時の最先端の設計でした。欧州視察をした東京市の専門職たちが鉄骨・コンクリート・ガラスと鉄道引きこみという建築の近代日本のパイオニアであったわけです。

本多博士を中心に、近代都市計画公園の第一号を作り上げた日比谷公園と、築地市場の創造の情熱は同じです。

 

そして日比谷公園といえば、なんといっても野音(大音楽堂)です。

現在の野音は建て替えで三代目ですが、築地市場と同じように、シンプルな屋根なしのコンクリート打ちっぱなしは頑丈で年月に耐えています。昨今の手抜き工事とはちがう。

ここでもバリアフリーが前面に出され、トイレやスロープが使いにくい、と言われていますが、それならトイレを新設すれば済む話ではないでしょうか。

さすがに野音を完全室内建築にする計画ではないようですが「天候に左右されにくい」「安全に快適に楽しめる」ように屋根を拡げるそうです。それでまた「歴史をQRコードで紹介」するのでしょうが、RCサクセションなど数々の雨の中の野音伝説」は、どこにでもある「快適」な空間では生まれなかったものです。

 

野音入り口だけでなく、公園の各所に立てられたこの看板に、三井不動産はじめ再開発事業者のロゴがでかでかと書かれていることが、音楽ファンの間からも不安視されています。

オープンハウスでほかの参加者の方が都職員にこの看板のことを指摘していましたが、「それは野音100年をいっしょに盛り上げるという意味であり、野音の整備自体は東京都がやります」と回答していました。

が。

都立日比谷公園大音楽堂の再整備基本方針|東京都

こちらによりますと「民間のノウハウを活用して再整備」であり「今年度中に公募により民間事業者を選定」となっています。

はたしてそれは、整備(建て替え)だけにとどまるのでしょうか。

野音の運営自体が指定管理者、あるいはPFIになる懸念もあります。

 

江戸の大名屋敷と見附、100年前の近代化による西洋公園第一号。日比谷公園の歴史とはそれだけではありません。野音の歴史、そしてまた、日比谷公会堂浅沼稲次郎が刺された昔からの政治・社会運動の歴史もあります。野音はデモの出発点として多用され、国会のお膝元ということで「年越し派遣村」の場所にもなりました。

民間PFIになっても、そうした活動に認可が出るでしょうか?

 

公共を取り戻せ!!

都庁に声を送りましょう!!

あなたの声をお寄せください|東京都

 

追記:内幸町一丁目再開発はこんな感じです。

とにかく音がすさまじく、公園内にも響きわたっていました。公園の「整備」と同時進行によって、都心の貴重な「憩いの場」は長期間にわたって、騒音の只中に置かれることになります。

 

 

他の市場はどんなとこ? 多摩ニュータウン中央卸売市場

安倍晋三元首相が、宗教団体・世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と密接な関係にあることが、日本社会での同教団の伸張をまねき、そのため信者である自身の家族が崩壊したと考えた山上徹也被告が、奈良県の選挙演説会場で安倍氏を銃撃して殺害してから、1年目の2023年7月8日

 

筆者は、東京都中央卸売市場多摩ニュータウン市場を訪れました。

いったいなんの関係が・・・?

 

「旧統一教会が多摩市に土地を取得、道場建設か」としてニュースになっているあの場所。多摩市永山7-2。

そして、多摩ニュータウン市場は多摩市永山7-4。国士舘大学の隣」といわれていますが、国士舘をはさんだ、そのお隣が市場なのです。これはピンチ!!

南多摩尾根幹線道路という大通りに沿って、旧美多加堂、国士舘、市場と並んでいます。国士舘の正門前。

 

土地取得に関するあれこれはこちら。

HOME,統一教会NO!多摩市民連絡会,多摩市への旧統一教会の進出反対,目指せ5万筆の署名 ,オンライン署名,賛同人募集,世界平和統一家庭連合NO!,旧統一協会,統一教会はいらない,統一教会ノー,多摩市民連絡会

 

多摩市長からも公式に「解体工事の停止」が要請されているのに、7月3日からは解体工事がはじまっています。

裏はすぐ山です。「よこやまの道」という歴史ある尾根道で、ハイキングコースになっています。

さて、この建物の感じ、市場好きならおや?と思いますよね。

そう。「元食品会社」と記事では言われていますが、お菓子の卸売会社・美多加堂です。

卸売? 市場と関係があるからこの場所に? と、疑いましたが、特に周辺にはほかの食品会社があるわけではなく、たまたまこの会社だけが出店しているようです。

もとは三鷹駅前の和菓子屋さんだったのが、卸もやるようになって、埼玉や神奈川に工場を作り、手狭になってここに移転したのが1990年だそうです。多摩ニュータウン市場は1984年開設なので、食品流通の拠点化をめざそうとした動きがあったのかもしれませんね。

この土地を旧統一教会に売って、再度移転した先は八王子市東中野なので、教団関連の政治家などのあっせんがあったのではないか、と推測する記事もあるようです。

なお、美多加堂のお菓子はどんなものなのか、HPでは商品一覧がない(!!)ので不明ですが、ぼんやりした写真の中で「ブラックなんダー」なる怪しい代物があるのが発覚。あとは健康食品っぽいものとか。

なぜか似たようなデザインですが、向かいにある日本食品分析センター」。市場関係かと思われる食品の事業所はこのくらいです。しかし多摩ニュータウン市場は青果専門なので、特に関係ないか。

 

では、いよいよ市場を見ていきましょう。

南多摩尾根幹線道路に面した正面は、ビルです。事務棟でしょう。

総面積は57153平方メートルですが、取扱量(青果)は11市場のうち最小の93t。

多摩ニュータウン市場のご紹介|東京都中央卸売市場゜

現代彫刻家の関根伸夫による「発芽」というオブジェ。青果だから?

一般にひらかれた食堂はなく、関連もないので、入構はできません。

鎌倉街道側にまわっても、よくわからない。

裏山のよこやま街道に入って、ようやく市場っぽい景色を見ることができました。

実は川崎市水道局と土地を共有しています(川崎の水源地)。このあたりは、もとは神奈川県。



尾根幹線道路はまんなかに大きな緑地帯があるのですが、それを拡幅するようで、鎌倉街道の交差点も橋梁工事がはじまっています。地域の再編があり、その関係で美多加堂も移転したのかもしれませんが。

 

せっかくなので、多摩ニュータウンとは?

市場の北側にある都営永山団地です。多摩ニュータウンは最近あちこちリニューアルされていて(おもにUR)、低層のタウンハウスになったりして高級住宅地のようになっているところもありますが、ここはほんとうに昔ながらの「団地」。

高齢化・転出が進み、空き家が増えているともききます。そのため、旧統一教会の道場ができたら、信者が転入してくるのではないか。そのような懸念から、上記の市民連絡会はこの団地内が本部になっています。

ちゃんと商店街が機能していて、この日は夏祭りをしてにぎわっていました。ポスターを貼っていた「あしたや」さんは地域や障がい者に関わるNPOのようで、手作りパンを売ったり、裂き織りの実演をしたり、お祭りでも活躍していました。古本も安い。高齢化、といいますが、子どもも大勢遊んでいた。

団地のよさが保たれ、安心して暮らせるといいですね。

 

おまけ。

市場から山をくだると、東光寺という大きなお寺が。大観音像もある。禅宗の古刹のようです。こちらも教団が来るのは不安なのでは。

ところで「晴海」はどうなってるの? 2023初夏

巨大な再開発事業が進み、ビルの森となっていく湾岸エリア。

今回は築地から築地大橋、黎明大橋を渡った、都心最大タワマン群・晴海FLAGの現状を見てきました。トップ写真は竹芝桟橋から。手前が豊海水産倉庫、まんなかの黒い建物が2024年オープンの晴海FLAG、すなわちオリンピック選手村、大して高くないと思われるかもしれませんが、この真ん中に170mのタワー棟が2本建ちます。その向こうの低い建物が豊洲市場です。

最近の界隈のトピックとしては、4月の統一地方選挙中央区は区長選が無投票(現職の山本氏以外立候補せず)ということがありました。山本氏の地元である日本橋も含め、中央区は再開発だらけですが、逆にそうなるとタワマン新住民が土地のことを知らず、投票につながらない傾向もあるようです。とはいえ、23区で無投票は衝撃的です。

そして現在分譲中の晴海FLAGが「新規(タワー棟分)は1人2口までの応募」に規制すると発表。要はこれまでの分が転売目的の事業者による大量応募でむちゃくちゃになってしまったようです。都心のタワマンの多くで、こうした投機購入があるため、実質住んでいる世帯が少なく夜は真っ暗だったりしますが、特に晴海FLAGは規模が大きく、民間と東京都、中央区が贅沢な設備投資をしている割に「安い」というのがあります。

なぜ安いか?

東京都の公有地を評価額の10分の1以下の129億6000万円で投売りしたからですね。

都民のみなさん、覚えておきましょう。

 

裁判には勝ったけれど… ひょんなところからボロが出てきた「晴海フラッグ」問題 (1/2ページ) | ウチコミ!タイムズ | 住まい・賃貸経営 まる分かり

 

これは不動産系のサイトの記事ですが、東京都(「裁判に勝った」のは東京都、住民訴訟は控訴中)と三井不動産ら11社JVがどのような抜け道を使ったのか、かなりつっこんで書いてあります。

そもそも築地市場を壊したのも「オリンピックの駐車場にするため」であり、環状2号を開通させて選手村から国立競技場まで「10分早く着ける」ようにするため、でした。

そんな特別待遇の選手村を建てるために、東京都は土地を投売りし、なおかつ延期した2年間賃料を払っていたわけです。そして今、晴海FLAGという巨大な民間事業のためにインフラ整備を続けています。

オリンピック期間中はまったく入れませんでしたが、2年建っても環2から先、南側半分の歩道は封鎖されています(車は通れるようになった)。しかしここから臨港消防署の側を歩いて、閉鎖された客船ターミナルまで行けるようになりました。

清掃工場の前の大型工事は、商業施設になります。住民説明会が開催されたようですが、テナント等はまだ非公開だそうです。その裏にあたるのが、旧「ほっとプラザはるみ」中央区の施設で清掃工場の排熱の温水プールがありました。2020年から改修で閉まっていて「中央区晴海地域センター」として再開予定。プールはなくなります。なぜなら、タワマンには自前のプールがあるからです。

それにしても埋立地で清掃工場の近くというのは、本来なら迷惑施設で安いはず。最近は排気からの悪臭などは削減されているでしょうが、朝から清掃車が大量に走るのでは。それを踏まえて土地評価額が安い、わけではありませんが(近隣の晴海レジデンスなどと比較して)、ここに高級住宅街を作るのは、ある種の錬金術ですね。

晴海は交通の便が悪いというのもありましたが、環2に新交通(EVバス)東京BRTが開通。新橋・虎ノ門まで一発でアクセスできるように。それらの交通結節として「マルチ・モビリティ・ステーション」を整備中です。

BRTの充電や、水素ステーション、船着場もあります。小池都知事は船便がお気に入りらしく、豊洲にも築地にも船着場を作り、通勤者の船便の実証実験などもやっていました。オリンピックも選手を船で運ぶ、などという話も一瞬出ていましたが、あっさり消えたところをみると、実用性はいかがなものでしょうか。

清掃工場の向かいにあたる小中学校の整備です(中央区)。選手村の食堂だったところですね。食べ物の大量廃棄があった。

この先、道路を渡ったところが、タワー棟「SKY DUO」です。

 

【公式】HARUMI FLAG SKY DUO|毎日、感動できる眺め。

 

さっそくマンション・ポエムですが、「ぼったくり男爵」バッハ会長の

「東京に恋をするでしょう」も忘れてはいけませんね。

 

ところで、晴海FLAGには「新たな森をつくる」「森の中に住まう」といったポエムもありました。植林をする、とまで言っていたようですが・・・今のところ、緑の整備は見当たりません。森を作るようなスペースが見当たらない。街路樹とかのことかな?

小池都知事が各地でやっている樹木伐採→小さい街路樹などを植えて「緑を増やした」パターンがここでも?

いや、きっと晴海ふ頭公園のリニューアルで木を植えているのではないか。そう思ってたどりついた頃には日が沈み、湾岸の夜景をひとりじめ(あまり人は来ていない)。これが「東京に恋をするでしょう」か。

それにしても木がぜんぜんなくてフラットですね。

植林はどうするのだろう。

 

築地的には、晴海ふ頭公園のみどころはこちら。

水産庁の「開洋丸」「照洋丸」の専用埠頭です。とびうおの街灯が美しい。左奥の建物は客船ターミナル。閉鎖していて、今後は不明です。

 

そして、公園の噴水がこんなことになっていました。

オリパラはレガシー的には「The TOKYO 2020」という名称になったのでしょうか。

 

ところで築地はどうなってるの? 2023冬

波除神社の獅子頭のお社が、新しくなりました。

 

観光客の入国が解禁されたので、場外は混雑しはじめています。団体客はまだ少ないですが、中華系・アジア系、欧米の人も増えています。

マスクに関していうと、海外観光客の人は、ノーマスクか、逆にN95などをがっちり着用かに分かれる印象。

とはいえ、築地では食べ歩き(ほんとは禁止)しちゃうから意味ないですが・・・

けっこうリスキーではないかな。

大行列はほとんど日本人ですね。

きつねやは観光客が少なかったときも行列でしたが、今はついに車道に並んで折り返し、という形になっています(土曜日)。外国人は寿司や海鮮にささっと入り、日本人は800円のモツ煮に大行列・・・なのだろうか。あと、玉子焼き。

水産以外のお店も増えています。スイーツとか、コーヒースタンドが急増。

 

 

市場跡地はこんな感じです。あいかわらず盛り土を移動し続けています。

70年プロポーザル!!の、事業者公募は終わったのですが、まだ計画決定はしていないので、いったいどういうビジョンで基礎工事を進めているのでしょうか。

謎。

事業募集要項はこちら。

図面もほとんどなく(PDFも1ページだけ)、「水辺の景観」「東京らしいまちづくり」「開かれた舞台」などざっくりした条件だけで、ほんとうに丸投げする気なのか。

以前の「水辺の顔づくりゾーン」などの「ゾーン」もなくなっていて、全区画をまとめている。どうせ一社でできる規模ではないので、JVになるのでしょうが。

https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2022/11/30/17.html

 

おまけ。公式には「全部中古車として売れた」とされている組織委車。外装そのままで乗って築地に来た人がいるのか、あるいは・・・?

 

 

都庁に声を送りましょう:

高層ビルばかりの再開発は見直しを。外苑・葛西臨海公園の木を切るな。

https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/iken-sodan/otoiawase/otoiawase/goiken/index.html

ところで豊洲はどうなってるの? 2020秋

2022.10.8の築地・豊洲連続視察の第三弾、豊洲編です。

まず、基本情報として豊洲市場、いまだ改善されていません。土壌汚染の影響は地上測定で全9箇所でベンゼンが基準超(22年8月)。建物は揺れて床は傾いて、ヒビが入っています。この状態のまま、5年目に突入し、都民の食を支えるインフラは脆弱なままです。開場時よりも周辺施設に着手したため、さらに土壌の掘り起こしが進んでいるのも、大気汚染の原因かもしれません。

 

そう、千客万来施設です。

東京ガスの工場だったときに廃水プールだったこの場所は、基礎工事前には常に巨大な水溜りができており、開場後の駐車場のときも「車止めの線が歪んでいる」というくらいアスファルトがたわんでいるというくらい、地下水の状態が悪い場所です。

そこにお台場とかぶるとかすったもんだした挙句、大江戸温泉物語と再度事業締結して「千客万来施設」が来年開業を目指して建設が始まっています。

温泉ですから、当然深く掘削しています。

 

また、市場であるにもかかわらず、一般客向けの「にぎわい」にこだわるあまり、この施設の開業が遅れるからと、青果棟の先に作られたのが仮設施設「江戸前場下町」です。これは千客万来が開業したら解体されます。

入って一軒目がこのありさまです。

最初はみやげもの屋でプラスチックの刀だの鮨の柄の靴下だのを売っていましたが、その後無人で営業できるガチャポン・コーナーになっていました。それすら成り立たなくなったようです。

全体はこのありさま。

開いている店も品物がほとんどなかったり、閑古鳥です。かろうじて神楽寿司などにはお客さんが入っていますが、神楽寿司は市場の管理棟にもあるし、もっといえば築地にもあります。まぁ、管理棟の店が混んでいるのでこちらに来たほうが賢いのかもしれませんが。

この状況で千客万来が望めるのでしょうか。

しかし駐車場だけは先行して営業しています。青果棟のまん前、むしろ市場業者の車の出入りに使ったほうがいい場所を、開場後にいきなり駐車場建設をはじめた、これもひどい代物です。

観光客向けということで、こんなデザインの駐車場です。税金で作っています。

 

豊洲全体は、チームラボやライブ会場、バーベキュー場、運動施設などの整備によって観光客が急増しました。アシックスも移転し、JALホテルも作られ、市場前駅直結のホテル・SPA(La VIsta)・商業・オフィスビルのミチノテラス豊洲も完成しています。

ここにも「豊洲外市」なるものを作ろうとしています。

商業施設が飽和状態であるなかに千客万来が後発で対抗できるのでしょうか。

全体にセンス的に不安もよぎります。

 

豊洲市場の一般施設は、飲食はあいかわらずで、コロナ前の状態に戻ったといってもいいでしょう。

各入り口にはこんなロボット?が配置され、各国語でマスクをしてください、とか言っています。しかしあいかわらず見取り図は少なく、このロボも案内をしてくれるわけではないので、どこに何があるのか、どのくらい歩かなくてはいけないのか、初めてきた人にはわかりません。

そんな中、少し前から中華ふじのが「市場業者専用」になり、一般客が利用できなくなりました。フロアが混雑しているので、業者さんがたどりつくのは大変かもしれませんが、「社食」は管理棟の上階で歩いて15分以上かかるので、仲卸棟の食事情は少しは改善されたのでしょうか。

鮨・海鮮丼以外はそれほど並ばずに食べられるのですが、業者さんとしては時間が惜しいところでしょう。筆者は洋食の禄明軒でホタテバター。750円で値上がりしていなくてありがたいですが(ほかのメニューは値上げして全品750円になった)、店主さんはワンオペを5年続けています。

見学コースからは何も見えない、というのが知れ渡ったのか、その上の関連に足を運ぶ観光客は減ったようです。12時前には早々に閉店しているお店がほとんど(玉子焼きの丸武さんも)な上、撤退したところもあります。エスカレーター上がってすぐの喜代村さん。

用度品の藤井商店さんは「築地に移転」!

もともと本店は本願寺の向かいの2丁目ですが、波除通りのファミマの裏、事業所が多かったエリアに戻るそうです。

もしかしたら、これからそういう選択が増えるのかもしれません。

 

商店街でも空き店舗といえば「休憩所」になったり、写真パネルが飾ってあったりしますが、豊洲の関連でもこんな感じになっています。

「ほんとうは築地で営業したい」5年前に90%の事業者がそう回答していた、その心は今も変わっていないのかもしれません。

 

ところで築地はどうなってるの?2022秋。

前回の築地市場跡地現状と同日、市場閉鎖から4年の2022.10.08(土)の築地場外レポートです。先に豊洲に行ってしまったため、築地滞在時間は14時ごろなので、お店は閉まっていますが。

豊洲行きのバスから見たもんせき通り。なんかあちこちでターレを見かけるようになった。これはミツオカ(国産スーパーカーを作ったメーカー)のハイスペックなターレ。特に水産関係のお店が増えたとは思えないのですが。

もんせき通りではきつねやが大行列。きつねやはずっと一人勝ち状態ですね。

海外観光客の入国が解禁になったので、ひとではかなり戻ってきている印象。

築地四丁目交差点の様子は12時ごろ。あとは14時すぎですが、そこそこ人がいます。定点観測ポイントの魚河岸の屋上連絡通路から見た波除通りもこんな感じ。観光客にはタイの人なども。

最近はやっているのはソフトドリンクのスタンド。築地スタンド(ジュース)も最初の立ち上げのときはいまいちでしたが、観光客の増加でこんな感じ。

BUY FIRST COFFEEは本格的なコーヒーのテイクアウトと手作りのお菓子。隣で魚卵などを売っています。水産店が半分コーヒーになったのですが、もともとコーヒー屋なのが店頭をマグロ屋さんに貸している米本珈琲と逆ですね。

うおがし銘茶も新しい業態をはじめるようです。

魚河岸の裏に、移転前からできていた築地果汁製作所はもうなくなっていますが、時代を先取りしすぎたのか?

魚河岸屋上のBBQが人気出てきました。この日は全席埋まっていた。スタートがいまいちでも、ずっとやってきた新業態が認知されはじめた感じでしょうか。手ぶらコースなどで気軽に使えるようです。

観光客のひとたちは、あまりこうした看板建築とか、上を向いて歩くことをしていないように見えました。食べ歩きしているので、手元を見てないと危ないのでしょうが。

築地が市場だったことを知らない人もたぶん増えているでしょう。海外の人もそう。逆

にこれがフィッシュマーケットだと思っているかも。きつねやのモツ煮は市場で働く人がかっこむためのものだったのですが、それを知らずに行列ができている。

カットハウス松原さんが早朝にときどきやっているサンドイッチ屋さんの看板がまだあって、椅子も置いてあることに気がつきました。これも市場で働く人が、こういう店があったらいいだろう、と床屋さんがサンドイッチ売りはじめて人気になったんですよね。

築地場外はこれからどこにいくのか。移転のときは、これからは午後・夜の営業が増えるのかなぁ、などと予想したのですが、コロナの影響もあって、いまも朝型の街ではあり続けているようです。

 

次回は豊洲市場編。

私たちは最高の市場を失って、もう4年が過ぎた。

2017年10月8日。東京都は中央卸売市場築地市場閉場を強行。

1935年以来水産物を中心に、東京の食を支えてきた象徴的な市場がなくなった。

小池都知事は「築地は守る、豊洲は活かす」だの「食のテーマパーク」だの「希望する業者は3年たったら築地に戻れるように」だのと、軽薄なでたらめを並べ立て、2022年、もちろんそのどれもがいまだに実現してはいない。そして小池氏は都知事のままである。

市場の土地は、昨年のオリパラ車両基地のあと、再度地盤の整備が進められている。豊洲で問題となった「盛り土」がここにはあるのも皮肉なものである。

当初東京都が主体となって「コンベンションセンター」だの「ラグジュアリーホテル」だの「東京ブランドの研究施設」だの「都民のステージ」だのと言っていた計画は、IRの断念からいつのまにか民間企業に70年のプロポーザルで、要は丸投げしてまたしても土地を安く払い下げる模様。

メインエリアの事業者募集がはじまっている。

勝どき門のところ。

厚生会館(左)と立体駐車場の解体がはじまっている。

また、波除神社裏の立体駐車場もなくなった。


昨年から隅田川沿いにテラスの工事が進められていた。計画では「水辺の顔づくりゾーン」として、船着場などが考えられているエリアだ。

緑色の鉄骨は、水産大卸の荷捌き場である。内側からの写真でもわかるように「鮮魚荷捌き場」の文字も残っている。かつては桟橋もあり、船による入荷も最後まで行われていた。

解体がはじまっても、これはずっと残されている。

もしかしたら「水辺の顔」として遺すつもりなのではないか?

対岸のテラスからよく見てみると、敷地との間に赤い防潮扉のついた塀がある。これは新たに作られたものでは?

築地市場は食の流通拠点であるだけではなく、いわずと知れた近代建築の名作である。鉄骨とガラスの屋根のシンプルで機能的な構造体。そして鉄道の架線を組み入れた扇形。

ここには屋根も扇形もないが、たしかに築地市場のあの美しさの名残がある。遺してほしいとは思う。

しかし背景に河風を遮る高層ビルが建ち、単なる飾りとして遺されるのも、悲しいことだ。

 

そのほか、市場敷地に残っているもの。

青果門のポリスボックス。これも壊しそうで壊さない。半円形のきれいな建物。なぜか手前の塀も少しだけ残っている。

そして水神社。

豊洲には「作り忘れ」て、あわてて変なところにくっつけていたが。氏子(事業者と場外)の了承もとらず、遷移され、管轄も神田明神から富岡八幡に移管されたのだった。市場を壊す前からこれ見よがしに閉鎖し、鳥居や門をはずしていたが、階段を半分壊し移転延期の看板が投げ捨てられたままというきわめて暴力的な状態のまま捨て置かれていた。

解体工事のさなかも、ワクチン接種会場、酸素ステーションという構造物がずっと運用されているすぐそばでも、水神社の廃墟だけはそのままだった。毎年藤のツルに埋もれ、冬には枯れて姿を顕す。

 

2022年10月8日の築地・豊洲ルポ。次回・第二弾は築地場外の今。