1954年3月1日はビキニ水爆実験の日です。
第五福竜丸をはじめとする、日本のマグロ漁船が被爆し、乗組員が亡くなったり、長く放射線障害で苦しんだりしました。そして積荷のマグロなどは水揚げされてからいったん築地に入出荷しましたが、問題が理解されて回収されました。今でいうトレーサビリティですね。
その後第五福竜丸は一度廃棄されますが、改修されて東京水産大学の練習船になります。初めてそのことを知ったときはびっくりしました。船というのはそうやって改修して使いまわすものだ、とわかったのですが、そうはいっても被曝した船です。
最終的に廃船となり、夢の島に棄てられます。
と、いうわけで、夢の島都立公園(新木場)の中に第五福竜丸展示館があります(1976年開館)。
ひさしぶりに訪れてみましたが、建物のかっこよさがまず目につきます。船をイメージした構造ですが、最近のドヤ顔建築やでかいばかりでそっけないような公共建築と尖って、シャープなラインと同時に、テーマを真剣に考えて作られた温かみもある素敵な建築だと思いませんか?
展示館ですから、中には第五福竜丸がまるごと収まっています。
この小さな船がマーシャル諸島まで運航し、被爆したときには甲板に白い灰と黒い雨が降り注いだのだ、と、実物を見ることでひしひしと感じます。
エンジンは外にあります。一度取り外されて別の船につけられて、その船が沈没。1996年に引き揚げられてからここにたどりつきました。
そして第五福竜丸の惨事を受けて、東京、母港の静岡から全国へ反核の声が高まります。
核兵器廃絶、戦争による直接被害は広島・長崎でしたが(もちろん戦後すぐの混乱の中では核廃絶などという発想はそう広まらないでしょうが)、この小さな船が日本中に戦争と核の恐怖を改めて思い出させたのです。
今なら風評被害で第五福竜丸や築地がバッシングされるかもしれません。
この核廃絶の署名は日本の市民運動のはしりとして有名ですが、始めたのは杉並区の魚屋さん一家です。「原爆マグロ」というのがそれだけショックだったのです。
こんな写真も展示されています。
そして築地と第五福竜丸といえば、「マグロ塚」です。築地市場駅出口のところに今もプレートがありますが(再開発でどうなるのか心配です、ていうかそもそも再開発してほしくないですが)、あれは当初場内に「マグロ塚」を建てたい、というのがかなわず、代替として作られたものがそのままになっているのです。
マグロ塚は展示館の前、ちょうどヨットハーバーの海が見えるところにあります。
第五福竜丸展示館
9:30-16:00 月曜休み 入場無料
2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、チェルノブイリ原子力発電所をまっさきに制圧しました。直前の「演習」では戦略核のシミュレーションも行っています。
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