2017年10月8日。東京都は中央卸売市場築地市場閉場を強行。
1935年以来水産物を中心に、東京の食を支えてきた象徴的な市場がなくなった。
小池都知事は「築地は守る、豊洲は活かす」だの「食のテーマパーク」だの「希望する業者は3年たったら築地に戻れるように」だのと、軽薄なでたらめを並べ立て、2022年、もちろんそのどれもがいまだに実現してはいない。そして小池氏は都知事のままである。
市場の土地は、昨年のオリパラ車両基地のあと、再度地盤の整備が進められている。豊洲で問題となった「盛り土」がここにはあるのも皮肉なものである。
当初東京都が主体となって「コンベンションセンター」だの「ラグジュアリーホテル」だの「東京ブランドの研究施設」だの「都民のステージ」だのと言っていた計画は、IRの断念からいつのまにか民間企業に70年のプロポーザルで、要は丸投げしてまたしても土地を安く払い下げる模様。
メインエリアの事業者募集がはじまっている。
勝どき門のところ。
厚生会館(左)と立体駐車場の解体がはじまっている。
また、波除神社裏の立体駐車場もなくなった。
昨年から隅田川沿いにテラスの工事が進められていた。計画では「水辺の顔づくりゾーン」として、船着場などが考えられているエリアだ。
緑色の鉄骨は、水産大卸の荷捌き場である。内側からの写真でもわかるように「鮮魚荷捌き場」の文字も残っている。かつては桟橋もあり、船による入荷も最後まで行われていた。
解体がはじまっても、これはずっと残されている。
もしかしたら「水辺の顔」として遺すつもりなのではないか?
対岸のテラスからよく見てみると、敷地との間に赤い防潮扉のついた塀がある。これは新たに作られたものでは?
築地市場は食の流通拠点であるだけではなく、いわずと知れた近代建築の名作である。鉄骨とガラスの屋根のシンプルで機能的な構造体。そして鉄道の架線を組み入れた扇形。
ここには屋根も扇形もないが、たしかに築地市場のあの美しさの名残がある。遺してほしいとは思う。
しかし背景に河風を遮る高層ビルが建ち、単なる飾りとして遺されるのも、悲しいことだ。
そのほか、市場敷地に残っているもの。
青果門のポリスボックス。これも壊しそうで壊さない。半円形のきれいな建物。なぜか手前の塀も少しだけ残っている。
そして水神社。
豊洲には「作り忘れ」て、あわてて変なところにくっつけていたが。氏子(事業者と場外)の了承もとらず、遷移され、管轄も神田明神から富岡八幡に移管されたのだった。市場を壊す前からこれ見よがしに閉鎖し、鳥居や門をはずしていたが、階段を半分壊し移転延期の看板が投げ捨てられたままというきわめて暴力的な状態のまま捨て置かれていた。
解体工事のさなかも、ワクチン接種会場、酸素ステーションという構造物がずっと運用されているすぐそばでも、水神社の廃墟だけはそのままだった。毎年藤のツルに埋もれ、冬には枯れて姿を顕す。
2022年10月8日の築地・豊洲ルポ。次回・第二弾は築地場外の今。